はいら日記

犬の顔にはめるバケツみたいな何かと数千万円するエルメスのバッグばっかり宣伝される

親族の京都旅行②

お寝坊

今日はタクシーを手配して母と祖父母と一緒に京都のあちこちを周る日である。母から家の近くのバス停まで来るように言われていたのに寝ぼけていたのとやることがたくさんあったのとで全然遅刻してしまい、しびれを切らした母がタクシーの運転手Oさんに頼んで私の家の前に来てしまった。そして私は乗るなりOさんと祖父母に平謝りする羽目になった。早起きは三文の徳というより寝坊は三文の損とかにした方が良いと思う。

三千院

私達は大原の三千院に向かった。

Oさんが私も知らなかった京都のことを沢山教えてくれた。三千院比叡山延暦寺と関わりの深い場所で延暦寺第18代和尚の元三大師が祀られている場所があったのだが、この人はおみくじの祖であるらしい。角の生えた姿で描かれ魔よけのご利益があるとされている。また、1月3日に亡くなったのでこう呼ばれているらしい。

最も綺麗と言われる玉座付近からの景色。実物はもっと美しかった。

極楽の様子を再現したと言われる舟底天井の御堂も面白かった。わらべ地蔵のところで祖母に「(私)ちゃんもわらべなんだから一緒に写真撮ったらどう?」と言われたが19歳はわらべには含まれない思う。寄付を集めて小さな観音像を8万4千体ほど並べるプロジェクトをやっているらしい。

景色の綺麗な場所でとろろ蕎麦を食べた。母は食わず嫌いしていたにしん蕎麦を食べ、思ったより美味しかったので喜んでいた。

宝泉院

宝泉院で樹齢700年の松を見ながらお茶とお菓子を頂いた。

これは水琴窟というものであるが、床から生えている竹筒に耳を近づけるとこの水が床下に置いてある甕の上に流れ落ちて音楽のような音を立てているのを聞けるという代物である。

金閣

この後金閣寺に行ったが、既に行ったことがある場所な上に一歩歩くごとに集合写真を撮っているのではないかと思うほどの頻度で写真を撮らされたので辟易した。そういうわけで自分で撮った写真が無いので1年前の写真でも見てください。

嵐山

さらに嵐山で天龍寺の庭園と竹林を見た。これまた私の良く知っている場所なので大した写真が残っていない。Oさんが鯛茶漬けが美味しい店があると教えてくださったので今度友達が泊りに来た時に連れていきたいと思う。あと梅干し専門店で一粒1,080円もする超高級梅干しを見て母と二人して目を疑った。

最後に御金神社で高給取りになれるように祈りを捧げた。

漫画と夕食

Oさんにホテルまで連れて行ってもらい、私は夕食の時間までロビーでずっと読みたかったチェンソーマンを読んでのんびりと過ごした。チェンソーマンは評判通りそれはもう面白かったし、常に話しかけてくる親族達から解放されて心休まるひと時であった。

夕食は鱧尽くしだった。

全て美味しかったのだが個人的には茄子の煮びたしが美味しくて驚いた。そして鱧の南蛮漬けもかなり良かった。普段あまり好きではないものが美味しいと意表を突かれて心に残るのだと思う。

母、祖母喧嘩

読みたかった漫画も読めて美味しい夕食も頂いて幸せな気持ちになっていたら、祖母がご飯をおかわりしておいてデザートの西瓜を残した件に関して母がダイエットはどうしたのか指摘したことが発端で喧嘩が勃発してしまった。祖母は過ぎたことをぐちぐち言うなと文句を言い、母は医者にもいつも言われていることだろうと言い返し、それに祖母は健康に生んでやったのにと相当に頓珍漢な返しをし始めた。私はよそ行き用人格ベルモット・キャロルで「健康に生んでもらえたからお母さんはおばあちゃんに長生きしてほしいと思っているのよ」と仲裁してみた。

祖母は私は優しいと喜んでくれたが、「そんなの上辺の態度に過ぎないんだよあ…。」と思いながら聞いていた。そして彼女はそこでまた母と私を比較し始めた。叔母が「それは子供が親の鏡になっているということではないか」とこぼし、その真偽はさておきあまりの辛辣さに母と私は吹き出してしまった。

かなり耐えられなくなってトイレに行き、ずっとベルモット・キャロルでいるのも辛いものがあるなあと思いながら戻ると二人はまだ喧嘩している。母は怒りを抑えきれなくなって手元でおしぼりをビリビリに引き裂いており、叔母とジェスチャーでこれめっちゃ面白いということを伝え合った。これは母の悪いところであるが、彼女は今後の旅を投げ出したいとほのめかし始め、その一方で祖母は半分母の人格否定のようなことを言っている。

流石に今回の件は母に軍配が上がると思ったのだが、私まで祖母を責め始めると袋叩きの構図になってしまって平和な旅が台無しである。もうベルモット・キャロルも限界だと思った頃、従兄弟がいなくなっていることに気づいて彼の行方を問うとロビーで漫画を読んでいるらしい。これはチャンスとばかりに「私も漫画読んでくる!」と逃げるようにしてレストランを飛び出し、黒子のバスケを読む従兄弟の隣でチェンソーマンの続きを読む幸せな時間を再び手に入れられた。

食事が終わったらしくレストランから出てきた母はげっそりとした顔で私の肩を掴み「私毒親育ちなのよ。毒親の負の連鎖にあなたを巻き込んでしまったかは自分ではわからないけれどとにかく私は毒親育ちなのよ。」と耳打ちしてくる。母が自分のことを毒親だった可能性があると思っていたことで彼女の自覚のない狂気に翻弄されてきた私は少し救われた気がしたが、それはそれとしてベルモット・キャロルと薄暗い感情を共有することはできないのだ。だって彼女はそんなもの一つも感じたことない(という設定な)のだから。残酷だと思いながら「ベルモット・キャロルには何も言えない」と伝えると母はその人格を少し分けてくれと頼んできたが、自分で作り出すしかないので突き放すことしかできなかった。

この一件で私も疲れが噴き出し、皆が私の下宿を見に来た時も薄い反応しかできなかった。丸二日もベルモット・キャロルは活動できないのだ。あと、来客に備えて挿しておいたリンドウに誰も反応してくれなかったのが少し、少しだけ悲しかったです。

かなりだるいこともあったが、久しぶりに親族達に会えて良かったし、行ったことの無い京都の名所を知れたり、1人では食べられないような食事にありつけたりできたので楽しかった。母にはまた父と一緒に来て彼女の独特なセンスでコアな京都を楽しみ、私のお気に入りの漫画を読んで欲しいと思う。

そしてこれを書いていて気付いたのだが、ベルモット・キャロルと私は自分が思っていた以上に分離していたようだ。

おしまい。

親族の京都旅行①

朝っぱらからトラブル

祖父母と母、叔母、従兄弟が旅行しに来るらしいのでついていけば良い食事にありつけるかもしれないという魂胆のもと色々なタスクをこなしていた私。この朝私は彼らが下宿に来ることに備えて部屋を片付けた上、ずっとためていた絵を2枚も徹夜で描き上げ6時ごろにやっと就寝して爆睡していた。8時台に目が覚めて携帯を覗くと母からの着信がある。

私「むにゃむにゃ…今起きました。何?」

母「あらごめんね、私今新横浜にいて…おじいちゃんが迷子で!!…遅れていて!!!

 なんとかかんとか!!!!!」

なにやら複雑な状況になって母と祖父が遅れているらしいがこっちは寝ぼけているし母も慌てているしで2割くらいしか理解できない。とにかく予約していたなんだか良いランチにこのままだと2人間に合わずキャンセル料が全額取られるがそれはあまりにもったいないので私の友達を2人ほど呼んで来いとのご指示である。

そんなこと言われても夏休みの大学生なんて帰省か旅行かバイトか寝坊の4択なんだから急には見つからんやろ…。でももったいないしとりあえず親しい人にラインしてみるか…というわけで適当にラインを乱れ打ちしていたが、ここで私は親しい友達が少なすぎるという現実に向き合う羽目になった。

なんとか連絡がついた人は全員予定が合わず、ストーリーで呼びかけてみても私の人脈では当然連絡は来ない。どうするんだこれ…と頭を抱えていたら母から再び電話があり

母「間に合いそうだからお友達にキャンセルの連絡して!」

とのことである。人なんて見つかっていなかったのだからちょうど良かった。事情を話していた友達も良かった良かったと言ってくれた。

何とかなるらしいので私は集合場所である貴船への電車に乗り、道中でベルモット・キャロルをたたき起こした。ベルモット・キャロルとは私が大人を相手にするときの人格で成績優秀だが謙虚、優しくてきぱきとして溌剌とした完璧な優等生という設定のもと動かしている。名前は高校時代からの親友が付けてくれた。

何だか良いランチというのは貴船の川床で懐石を頂くということらしい。料亭の席に着くと母だけが少し遅れると言われたが、私は勝手に祖父が東京駅で迷子になり彼を探していた母と揃って遅れたものだとばかり思っていたので叔母にどういうことか詳しく聞いた。話によると、

祖父と祖母が地元の駅ではぐれる→祖父は独断で新幹線に乗り勝手に京都に着く→母はその間祖父を東京で探している→とりあえず京都に向かった叔母達が京都で祖父を発見

という流れらしい。地元ではぐれるとはどういうこっちゃ。毎回そうなのだがこの時点で私は完全に祖父母についていけなくなった。

盛大なる誤字

祖父母が私の誕生日祝いも兼ねてお小遣いを渡してくれたのだが、地元銀行の封筒ににじんだ筆ペンで書かれた字を見たところなんと盛大に私の漢字を誤字っているではないか。私の名前の一文字が「邪」という文字に入れ替わっている。もしかして私のお小遣いではないのかな。流石の私の両親でもそんな悪そうな名前は付けない。やっぱりついていけないわ…。

ハッピーランチ

川床は本当に涼しく素敵な場所で料理も美味しく幸せな気分になった。

見よ、この怒涛の一品ずつ撮った写真を。

従兄弟クソガキ化

子供用の料理を食べていた従兄弟が私に大きな海老天をくれ、その代わりに皆の素麺を3人前分くらい集めて食べていたが海老天より素麺が好きとはけったいな小学生もいたものである。彼のことは生まれた頃から可愛がっているのだが、久しぶりに会ってみたら身長は伸び、親戚には全然口をきいてくれず行儀も悪い典型的な小学生男子になっていた。私もそのくらいの頃は行儀のぎの字も考えていなかったのであまり責められないが。

祖母が「後ろのアベックも私達と同じもの食べているね」と話しかけてきたがなんと答えれば良いのか分からない話題な上にアベックの意味がいまいちわからない。状況的に恐らくカップルのことだろう。(フランス語でwithという意味でバブルのころにはやった言葉らしい。)とりあえず「そうね、アハハ!」と返しておいた。

鞍馬寺

食事を終えた私達は鞍馬寺に行くことにした。電車に乗っていくのだが、私は3月頃に交通ICを失くし今日まで新しいものを作っていないということを親に黙っているのでカードを下宿に忘れてきたと必死に主張したところ首尾よく信じてもらうことに成功した。

初めて来たが鞍馬の駅はとっても良い所。

ケーブルカーで登りさらに階段を少し登ったところに本堂があるので足が悪い祖父母はケーブルカーの駅のベンチで待ち、私、母、叔母、従兄弟だけでお参りに行った。

眺めが良い。

母がこのトラをロールパンみたいと言って気に入っていた。

叔母と従兄弟は山道を下ると言っていたので別れ、駅に戻っていくと祖父がいない。また迷子になったのかよ。祖母に聞いてみると勝手にどこかに行ったと主張している。母が通りがかりに人に聞いてみても皆見ていないと答え、皆で必死になって探していると最終のケーブルカーが出発する直前に叔母から祖父を捕獲したとの連絡があった。

祖父はトイレに行こうとして見当たらずかなり上の方まで上って行ってしまったらしい。それを聞いた祖母が腹を立ててふもとのケーブルカーの駅まで下りてくれば良かったじゃないかと食ってかかった。そんなことしたらますます迷子になったはずだと祖母に言っても聞く耳を持たず物凄い剣幕で言い合いを始めた。母も私も最初は何とか仲裁しようとしていたが途中で完全に諦め「あのお店素敵」「牛若餅って何だろう」「美味しそうね」と会話し始めた。

突然母が「尾行されている!」と叫んだので何事かと思って振り向くと別ルートで下山していた従兄弟と叔母が物陰から飛び出してきた。このショックで祖母と祖父の喧嘩はとりあえず収まり、街中に戻って大学を案内した。

大学周りさんぽ

大学のグッズを売っているコーナーで祖母がやたらと私に何か買ってくれようとしたが、通っている大学にそんなに興味無いので断った。

母と祖父母が私のバイト先にディナーを食べに行ったが、私は恥ずかしいと言って断ってしまったので叔母と従兄弟と大学周辺をぶらぶらして回った。あちこち連れまわしたが、どこも早くからシャッターを下ろし始めてしまったので大体徒労に終わってしまった。しかしたくさん歩いたおかげでお腹が空いたので、最初は空腹でないと言っていた従兄弟は大盛のパスタをあっという間に平らげてしまった。私は辛いパスタをごちそうになった。辛いものを食べながら大量の水分を取るのが好きなので楽しかった。美味しかった。

ハプニングだらけで疲れたがとりあえず1日目終了である。

 

免許取得

帰省

免許の学科試験を受けに行った。前日の夜学科の勉強をしっかりキメていこうと考えていたのに、実家に帰るのが実に8か月ぶりだったがためにとめどなく喋ってしまい全く勉強できなかった。その代わりにこの8か月の間に私が経験した面白いことの数々を親に話すことができた。本当に気に入った驚愕の出来事しか話さないので母をはじめとした外部の人たちは私があたかも京都という洒落た地で魑魅魍魎達とめくるめく摩訶不思議な青春を送っていると思い込み森見登美彦の世界は本当にあったのだと感激するのだがそんなのは虚構に過ぎない。本当につまらん奴は沢山いるけど話すに値しないので話していないだけです。

久しぶりに会った両親は外見こそ変わらないものの、酒も菓子もほとんど摂らず早寝早起きを身に着けていて、夫婦でウオーキングするのが毎週の楽しみになったと語っており、随分老いていた。昔は毎晩ワインを飲み交わしていたこともあるというのにである。こうして二人の暮らしはゆっくりとしぼんでいくのだろうか…。

試験

それはそうとして私は慣れない早起きで眠い目をこすりながら試験場に向かった。朝に弱いせいで化粧する時間も取れずすっぴんのままである。試験時が始まる前にその辺のトイレで急いでメイクをした。

学科試験は正直不安だったが、間違えた可能性のある問題を数えていたらそれらすべてが外れても9割には届きそうだということが分かったので心置きなく受験できた。これで私は修検、卒検、学科試験全てにストレートで合格できたということである。私の運動神経が偏差値30台であるとかきっと延泊になるから余裕をもって合宿に行きなさいとか言ってきた両親よ、どうだ見たか。

ところであまり言わない方がいいことなのかもしれないが、教室や列で「ええ、大丈夫…?」と思った外見の人はことごとく落ちていたのでなんだか怖くなった。

免許のための写真を撮ったのだが、この日急いで家を飛び出たために前髪を巻く時間が取れずワンレンのようなスタイルであった。そして癖っ毛のために毛先がどうしてもまとまらず見苦しかったため髪を全て背中側にまわした。この二つのおかげで普段どんな証明写真もぼさぼさな私にしては奇跡的に整った髪で写ることができた。しかしそれが悪く作用したのであろう、受け取った免許証には無表情でこちらを見つめる良く知っているはずなのに知らない無機質な女性が写っていた。性格すら存在しないレベルで人の心とか無さそうだったのでもし今後犯罪をしてこの写真が報道に使われたら世間からの印象は最悪だろうと思う。

mとディナー

高校同期のmが留学に行ってしまいしばらく会えなさそうだったので一緒に夕食を食べようと約束していたのだが、色々あって彼女がかなり遅れることになったので私は喫茶店でゆっくり読書でもしようかなと思ったがそんなに洒落た場所に長居するのも悪いのでマックに居座ることにした。父のアカウントで使えるkindleを持っているので彼の買った三体を読んでいるのだが、これがもうそれはそれは面白くて彼女を待っていた数時間などあっという間に過ぎてしまった。

彼女に会って少しウィンドウショッピングをしてハンバーグを食べ四方山話と翌日の計画の話をしてをして別れた。彼女は私が免許を取ったことを四足歩行デビューと表現しおめでとうと言ってくれた。

polvoron

家に帰ったら親が人から貰ったフィリピン土産があったので食べてみたらこれが今まで経験したことの無い美味しさで嬉しかった。10代後半になったあたりから食べ物の美味しさよりも自分にとっての新しさの方が大切になってきている気がする。polvoronというお菓子なのだが、食感はほろほろしていて甘く、なんというかブールドネージュを口に含んだ時のくちどけが最後まで続いていてその中に砂糖のじゃりじゃりが混ざるという表現が最も近いように感じる。そして綾波レイではないが食べると口の中がポカポカする。

カシューナッツ、ピーナッツ、クッキー&クリームなどの味があったのだが、気になったのは「pinipig」という味である。母に聞いたが彼女も全く知らなかった。調べてみると、まだ青い状態の米を炒って作るサクサクした菓子らしい。

↓これ

https://en.wikipedia.org/wiki/Pinipig

とにかく四足歩行が許される身になれてよかった。おしまい。

 

車校卒業

今日は教習所の卒検の日である。

最悪のコンディション、地獄の2択

今までずっと晴れか曇りの状態で運転してきたのに今日に限って滝のような大雨である。こうなると歩行者や建物に水をかけるという減点のリスクが生まれるので面倒だ。ただでさえ卒検なんて嫌なのにもう最悪である。

延泊にならないことに賭けて夜行バスの予約を取ってあるのだが、もし卒検に落ちたらキャンセル料として5000円失う。そしてもし受かったら京都まで13時間半夜行バスに監禁されるのである。どう転んでもお先真っ暗、絶望しか見えない。

普通に延泊なんて嫌なので検定はかなり緊張し、そのせいで合図の出し忘れや消し忘れが何度かあった。これはもし運が悪かったら落ちるかもしれないと思って青い顔をしていたら、私を乗せて方向転換の課題をしていた男の子が目の前で減点超過で検定中止になってしまった(検定の時は次の順番の人を乗せて運転する)。これを見て私はもう冷や汗をダラダラ流し天に祈りを捧げながら運転する羽目になった。実は修検の時も私を乗せていた人が脱輪で検定中止になっており、もしかしたら私は疫病神か何かかもしれないという考えが脳裏をよぎった。

どうにかこうにか合格はできたのだが、キャンセル料+諸々の延泊料、再受験料のかかった試験であったため合格発表の緊張はまさに大学受験以来のものだった。さすがにあれほどは緊張しなかったが。

卒業

お昼をゆっくり食べたせいで荷物を詰める時間がほとんどなくなってしまい、とりあえず全てを包みもせずにぐちゃぐちゃのままトランクに放り込んだせいで絶対に外でトランクを開けなくなってしまった。開いたら服や下着がくす玉のように飛び出すだろう。

同室のYちゃんが何度も歯ブラシを忘れないように警告してくれたというのに私は歯ブラシを忘れかけ、行きがけに掴んで部屋を飛び出た。歯ブラシを持ったままエレベーターに乗り、卒業説明の部屋にそのまま入っていくと同時に卒業する面々にドン引きされた。アハアハ言っていたら教官が現れ、彼にもまたドン引きされた。「歯ブラシを持ってくる人は初めて見ました。」と言われ、私と少し仲良くなった男の子が「そらそうや!」と叫んでいたのでまたもやアハアハ言って誤魔化した。

みんなが先に卒業してしまい今日から部屋に一人残されるYちゃんのほうが寂しいと思うが、私も同室の子達とはとても仲良くなれたので今とても寂しい。久しぶりにコミュニティの全く違う人たちと深く関わった割にはよくできたと我ながら思う。やはり私のコミュ力は昔よりもマシになっているのではないだろうか。

絶望

私に今残されているのは13時間半に及ぶ輸送のみなので佐世保駅コメダ珈琲で悲嘆に暮れている。初コメダなのにこのザマである。

シロノワール食べた。美味しい。

これを公開するのは家に着いてからになると思うが、皆私が奴隷船状態を乗り越えられるように応援頼んだぞ!!

おしまい。

長崎市

(早朝の私が二度寝する前にとったメモによると)イルカを育てる夢を見たらしい。あとは朝食がビュッフェスタイルのホテルに泊まってどれを食べようか迷っていたのに目が覚めたら普通の質素な朝食しか出ない宿舎に泊まっていることを思い出してかなり憂鬱になった。

今日は車校が休校日だったので長崎市に遊びに行った。

道中佐世保の造船所が見えるのだが、私はこれがとっても好きだ。山も海も飛行機も巨大建築も造船所もでっかい物には全てロマンがあるので皆大好きだ。

バスの中でマルサス人口論を読もうとしたら訳が分からなさ過ぎて寝た。

同室のRは長崎出身なので友達に会うと言って別れ、私は和菓子好きでしっかり者のHと女子力の高いYと一緒に観光した。髪の寝癖を直す時間が無くてハーフアップをしていたらYが何度も褒めてくれたので今後はかなりの頻度でハーフアップにしようと思う。

眼鏡橋のところでよりよりを食べた。

よりよりは非常に固く、とんでもなく圧縮したドーナツのような味がした。あまりに固いので私の母がもし食べたら全部の歯が折れると思う。

皇室御用達の匠寛屋で自分用にカステラを買った。

トルコライスなる食べ物が長崎名物らしい。食べたいもの全部乗せみたいな料理なのでかなり満腹になった。

サークル同期の美術オタクH君が教えてくれた崇福寺に行った。中国と日本の建築様式が混ざり合ったかなり珍しい場所らしい。ストーリーにここの写真をあげたらH君からいいねが来たのでやったーという感じである。

何だろうこれ、かわいい

熱中症になりかけていたHが近くのカフェで休んでいたのでそこに行ってカステラソフトを食べた。

そのあと中華街に行ったのだが私達は皆かなり満腹だったので別に何も食べなかった。鬼滅の刃の無許可グッズで黒地に白で「滅」とだけ書かれた服や帽子が売っていたのだがいったいどこに需要があるのだろう。

長崎県美術館に行った。私は常設展だけを見た。ダリの「海の皮膚を引きあげるヘラクレスがクピドをめざめさせようとするヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む」という絵がかなり好きだった。あとハプスブルグ家の肖像画に描かれている人の顔がハプスブルグ顔すぎてかなりウケた。顎長すぎ、映画かぐや姫の帝ももしかしてハプスブルグ家の一人だったのでは?

これは原爆の爆風で溶けた瓶をスキャンして作った同じ形の花瓶なのだがコンセプトも見た目もかなり好きだった。

お土産に椛島勝一氏の絵ハガキを買った。別に飾られていたわけではなかったのだが、長崎らしいしタッチが気に入ったので帰ったら部屋に飾ろうと思う。

目の前で祭りをやっていたのだが人混みは本当に嫌だったので行かなかった。

出島はもう出ている島ではなくただの町の一角であることを知って悲しかったが、なかなか楽しかった。

可愛い部屋。

色々な建物の中で展示が見られるのだが、とある建物の2階に登ったら何もない広い空間で冷房が効いているだけであった。その奥に全く冷房の風が届かない酷暑の場所があり、そこに1枚の鮫肌だけがぽつんと展示されていた。一体何だったのだろう、かなりシュールだった。

長崎駅に着いたがバスまで時間があったのでマックでシャカチキを食べてのんびりした。今日は花火もやっていたらしく、駅を出たら遠くで上がっているのを見ることができた。

明日からまた教習で憂鬱だが、頑張って最短で帰ってこようと思う。あと、F1レーサー目指します。

おしまい。

 

 

免許合宿1日目

夏休みだ!!いざゆかん、長崎へ。免許合宿へ。

本来なら体中が開放感で満ち溢れるはずの状況だが、私はテスト期間の自分の恥ずべき過ごし方と納得のいかない出来のテストのせいでいまいち煮え切らない思いを抱えたまま夜行バスに乗り込んだ。

夜行バスのことは正直舐めていた。東京→京都の時も京都→長野の時もこんなに辛くはなかった。何しろ今回は12時間半拘束されるのだ。試験でほぼ2徹状態だったため寝れるかと思いきや、逆にコンディションが悪すぎて全くである。消灯後はケータイも使えないし頼みの綱のkindleもダメそうである。体育座りしたりカーテンの隙間から外を覗いたりしたが、そんなのは何の気晴らしにもならない。ただひたすらに不愉快であった。これは「移動」ではない、「輸送」である。

永遠にも思えた長旅が終わってバスから放り出され頭も回らないので海を呆然と見て呆然と読書をしていた。

そのまま教習所に連れていかれ朦朧とした状態で適性検査を受けさせられたので絶対点数が悪い自信がある。

何より怖かったのが果たして友達はできるのだろうかということである。中学生のころは基本的に塾の人としか話さず、高校も塾と学校の人としか話していないためおよそ8年同質の人間達のコミュニティに閉じこもっていたので異質な人間と果たして会話できるのだろうかというのは非常に大きな懸念材料だった。

結果、まあまあできた。良かった、本当に。

あと教官にハンドル回しだけは上手いと言われた。車は怖すぎた。私が突然狂って教官が止める間もなく思いっきり踏み込んだら車は教習所を飛び出して行って外を散歩している車椅子の老婆を轢き殺して私達も死んでしまうのだ。

明日からは過去からのタイムトラベラーのふりをして腰を抜かして「て、鉄の牛が走っている…!!」と叫ぼうかな。

宿舎も綺麗だし、友達はできたし、教官も(今のところは)優しいし、良い一日だった。せっかくだから学科の勉強も頑張ろうかな。

おしまい。

 

宵山万華鏡

を読んで予習してから行こうとしたのだが失敗した。私の人生なんて大体こんなものである。そもそも徹夜しようとして疲れてきて6時に眠りにつき12時半に目覚めたあたりから失敗したのは目に見えていた。

起床

寝ぼけ眼でインスタを見るとこの世には祇園祭をあげる人と某大学の某コンテストに出る同級生を応援する人の2種類しかいないことが分かった。

さらにウミガメ殺害のニュースまで見てしまった。カメが死ぬ話だけは駄目だ。親の死も自分の死もいづれ訪れることで別に何とも思っていないがカメが死ぬのだけは駄目だ。アホで純真無垢なカメがいつか死んでしまうこと、その時に多少なりとも苦しみや恐怖が訪れるかもしれないこと、それだけは絶対に駄目だ。宇宙が終わってものほほんと好きなものを沢山頬張って沢山昼寝しているべきだ。絶対に。栽培しているモズクが被害を受けていたとのことだが、私にはウミガメがアホ面してご飯に目を輝かせている姿がありありと想像できてしまってもう駄目だった。

こういうことで勉強もできず風呂にもなかなか入れなかった。小中学生の頃の生活はこんなに崩れていなかった。下手に大学生らしいサボりマインドを身に着けてしまったのが良くないのかもしれない。周りを見てもなんだかモチベの保ち方が中学生のような人に限って生活習慣も整っているし成績も良いので私もかつての純粋さを取り戻すべきなのかもしれない。

祇園祭

この世には祇園祭をあげる人と某大学の某コンテストに出る同級生を応援する人の2種類しかいないと書いたが、私は量産型の大学生であり量産型の母校OBなのでもちろん祇園祭に行くし彼のことは応援する。

そういうわけで高校同期のkと祇園祭に行ったが、向かう途中で橋の欄干にプリクラが貼られているのを見つけた。

この橋は有名な刀傷もある歴史の深い場所である。こうして新たな歴史を刻んでいくその姿勢、誠に恐れ入った。

ほんの少し前までラッシュに揉まれながら都会の高校に無遅刻無欠席で通い、混雑した巨大な駅の中を縦横無尽に動き回り、満員電車の中で小テストの勉強も悠々とやってのけていたはずである。そしてそんな大都会での生活もそれなりに気に入っていたはずである。それがなんだこのザマは。私達二人とも少し人が増えただけで拒否反応を示しているではないか。お父さん、お母さん、もう東京に帰れる気がしません。

なんとか焼きそばだけ買いました。

パフェ

kが夜パフェの店があるというのでそこに行くことにした。人混みはもうこりごりなので。

地球の提灯が可愛いねと話していたら

ここマダガスカル!レボリューション!

k、それはスリランカスリジャヤワルダナプラコッテ

この後ゴージャスなる芸人の動画を見せてもらったが彼が動くのを見るのは初めてだった。(ネットサーファーなので名前は知っていた)

とってもおいしゅうございました

中に入っていた十勝ヨーグルトのゼリーなるものが今まで食べたヨーグルト味のもので一番おいしかったかもしれない。

上に乗っているキャンディを「飴ちゃん」と呼んで押し付けてくる大阪のおばちゃんがいたらいいなと思う。

しっとりした雰囲気の店で周りも綺麗なお姉さんだらけなのになぜか親の死について話した。ある意味これも大人の会話かもしれない。

 

余りの混雑に今日に限っては鴨川等間隔カッポー達は普段居座る場所の対岸にまで並んでいた。そういえば昔別の高校同期Aに鴨川等間隔の説明をしたら「素敵!いつかやりたいな」という反応をされたがあれを純粋に良いものとしてとらえられるかどうかは何かの分水嶺かもしれない。

川の流れに乗ってどんぶらこどんぶらこと煙草の箱が流されていくのを見たが、あれを拾って割っていたら煙草太郎が生まれていたかもしれない。惜しいことをしたものである。

今kの家に居座ってこのブログを書いている。本当は勉強をしないといけない状況でこんな腑抜けた文章を書いている場合じゃない。本当にヤバい。あと目の前で彼女に私のブログをアクセスされて読まれた。笑ってもらえたのが唯一の救いである。

明日はちゃんと勉強できるといいですね

おしまい。