歌舞伎版も原作版もネタバレしまくりのナウシカオタク語り
歌舞伎版風の谷のナウシカ後編を観てきた。平日昼間から映画館で歌舞伎なんて観ていたのは私以外全員お年を召している方々だった。
原作で後編にあたる部分は特に思い入れの強いシーンや好きなシーンが多く、その分原作から変わっている部分に困惑することもあった。私が原作過激オタクなので常に次はこのシーンが来るはず、このセリフが来るはず、この人物が出てくるはず…と原作をなぞりながら観ていたから予想が大きく外れるとかなり混乱したのだと思う。
個人的にうーん…なところ
・ナウシカの精神世界でミラルパを救うシーンが無い
ミラルパがかなりあっさり死ぬので、彼が肉体を失っても見せたナウシカへの異常な執着があまり感じられなかった。土鬼の神聖皇帝で超常の力を持ち、いかにも怪しげな悪役然とした彼が裸でよぼよぼの老人となって王蟲と戯れ子供のように笑って清浄の地に消えていくシーンが見られなかったのは残念…
・トルメキアの二人の皇子が庭のシーンに登場しない
謀略と戦の世界で生きてきた二人が庭で旧世界の巨匠達の楽譜とピアノを見つけ、陽だまりの中で夢中になって連弾するシーンが好きな読者はかなり多いのではなかろうか。これまた醜い悪役として登場した皇子達が救われるシーンであり、庭の客人が辿ってきた運命を示しているので私の解釈ではかなり重要な場面。そうか、そもそも皇子達は庭編には出ないのかあ…となった。しかし、あのシーンの静けさと美しさは舞台上で表現するには限界があるので中途半端にやるよりは無くて良かったのかもしれない。(クシャナが母に別れを告げるシーンも無いが同様の理由でべつにこれには不満はない。)
・上記も含め庭編がかなりシンプル
ナウシカに話しかける動物が出ない。ナウシカが違和感に気づいた時に大騒ぎする動物達の不気味さや別れを惜しむ姿が好きなので歌舞伎でも見たかった。とはいえ念話自体が歌舞伎版では一切登場しない(おそらく演技では表現できないから)ので動物の声がないのも当たり前と言えば当たり前である。
あと、ナウシカが「あなたは残酷ですが優しい きっと生命を奪うことはできないのです。だから私を止められません お別れです」というのを見たかった。
そして読んでいて宮崎駿…となった庭の主人のセリフ「この庭にあるもの以外に次の世に伝える価値のあるものを人間は作れなかったのだ…」が少し変えられて生命への侮辱を含んだニュアンスになっていたが、彼の悲しげな顔と旧世界への批判を込めてこれを言うのを聞きたかった。擁護するなら、これは旧人類=まさに現代の私達の構図があるから痛烈に聞こえるものであるため、この構図が示されていない歌舞伎版ではそのままだとインパクトに欠けていたかもしれない。漫画でもよく読まないと気づけない構図など舞台ではノイズにしかならないので省くのは当然だと思う。もちろんオーマの歯にある日本語の商標なども登場しない。でもこのセリフ聞きたかったなあー
・大海嘯の後の腐海の芽吹きに重ねた多くを失った人々の再生の朝の表現がいまいち
蟲使いの滅びた一族への言及が無かったのが大きいかも。でも蟲使い達の踊りは良かった。
・オーマと旅に出て以降の悲壮感が無い
オーマがぼろぼろになっていく描写やナウシカの葛藤のシーン、何も知らないオーマが人間を殺す所がカットされていたが、もっとあの悲壮感が見たかった。
・クシャナが三つ編みを切り落とさない(前編かもしれない)
圧っっっっっ到的クシャナの格好良いシーン。冷たそうな態度と容姿の彼女が実は部下思いであることを最初に示す場面であり、私はここでクシャナに惚れた。歌舞伎版のクシャナのビジュアルが最強なのでこれをやるのが見たかった。そしてナウシカとクシャナの髪型が似通ったものになることも、最初緊張関係であった2人どちらも共通して怒りと優しさを秘めており、クシャナがある意味ナウシカの裏表の存在としてもう一人の主人公になっていくメタファーであると思っているのでこれが無かったのは悲しい。(しかしまずナウシカの髪が原作と違ってポニーテールであり切り落としたところでなれる髪型ではないし、「ヴァルハラ」も歌舞伎版の世界観に合っていないのは事実)
良かった所
・クシャナのマント
原作ではヒドラに服を破られたナウシカにクシャナがマントを渡し、後にクロトワに「このままで良い、マントはある ナウシカがつけている…」と話して彼を困惑させる。クシャナがナウシカに思いを馳せているのが感じられて好きなシーンだが、歌舞伎版では死んだヴ王に掛けるシーンになる。クシャナの憎しみがなくなり毒蛇の巣はもはや消えたことが視覚的にもわかるようになっていたし、彼女のマントが歌舞伎版でも意味を持たせられていたことが個人的には嬉しかった。
・ヴ王のセリフ
墓の主が潰される瞬間ヴ王がナウシカを庇いながら彼女を「破壊と慈悲の混沌」と表現する原作のシーン。ナウシカの本質を端的に表現しているセリフとして本当に好きだし、ヴ王が全く愚者ではないことがよくわかる。歌舞伎版では今際の言葉になっているがこれはこれで良いなと思った。それにしても「失政は政治の本質だ」といい、ヴ王は登場シーンが短いのに良いセリフが多い。原作の話になるが、醜い人をただの愚か者として描かない、単純な悪役像を出さないという点が物語の深みを増させていると思う。
・冒頭の登場人物集合
原作では同じ場所にいるはずの無い人物達を演出として矛盾なく舞台上に並べられるのは舞台の強みだと思う。個性豊かな主要人物たちがそれぞれ自己紹介をしていきナウシカを囲んでいく様子はなんだか胸アツであった。ナウシカの主人公としての輝きもこの演出で増したと感じた。
・皇兄ナムリス
ナムリスはザ・悪者!!という雰囲気で登場しておきながら徐々にただのクシャナガチ恋勢なことが明らかになる最高のキャラであり、後編にしか出ないためかなり期待した状態で映画館の席に着いたが全く裏切られなかった。何しろ声の演技力が高く、彼の高圧的な態度や恐ろしさ、生き様がダイレクトに伝わってくる。私の語彙ではこれ以上うまく言えないが、これぞ「解釈一致」である。クシャナへの絡み方もとても良かった。
・トルメキア王家
漫画よりも王家内の争いの生生しさが感じられる。気がする。
・墓の主とオーマの戦い
本当は墓は血を噴き出しオーマは体を引きちぎり全てを滅茶苦茶にしながら戦うのだが、当然舞台ではそんなことできない。その代わり墓の主とオーマを擬人化した白と赤のかつらの役者が何人も出てきて長時間にわたって激しい舞を続け、歌も加えて混沌を極めている様子を表現している。これはなるほどと思わされた。悔やまれるのは私が連日の疲れから少し眠くなってしまったことである。起きていればもっと面白かったと思う。
・ナウシカとオーマの別れのシーン
死にゆくオーマがそれでもナウシカを気遣い、ナウシカがオーマを褒めたたえる原作のシーンはかなり心に刺さったのだが、歌舞伎版だと声に表情がついて思わず涙ぐんでしまう。原作のナウシカの表情と舞台での声、それぞれ違った良さでこの場面を胸に迫るものにしていた。オーマを大切にしているふりをしながら死を願っていたナウシカがそれでも彼を一つの命として愛してしまっていたこと、自分のために彼が死ぬことが悲しくてならないはずなのに彼を勇敢で自慢の息子と讃えていることが伝わってくる名場面だと思う。
・ケチャ
前編の時書き忘れていたけどすっごく可愛い。
・クシャナ
前編に引き続き本当に美しい。私的に二次元の頂点に君臨するキャラをこのクオリティーで現実に落とし込んでくれたことに感謝しかない。歌声も美しすぎ。男なのに。最高ーーーーーーーーー!!!
ナウシカの登場人物は一人残らず好きなのだが、こんなに魅力的なキャラクターが勢ぞろいしているのは一言で人間性を語れるような単純なキャラ造形がほとんどないからだと思う。ナウシカも全くただの聖女ではなく制御できない怒りを秘めているし、クシャナも怒りと優しさと悲しみがごちゃ混ぜになっているし。別作品の話になるが私の大好きな亜人の永井圭もかなり矛盾した人間だ。当たり前だが矛盾を抱えながらも一人の人間であることを描くことでかなりキャラ造形に深みとリアリティが増すと感じるし、惹かれてしまう。しかしこれを一人のキャラクターとして読者を困惑させることなく描くのはかなり難しいと思う。
いや本当にこの世の創作物の中でもトップレベルに好きな作品なのでかなりオタクを丸出しにしてしまいました。それでは