はいら日記

犬の顔にはめるバケツみたいな何かと数千万円するエルメスのバッグばっかり宣伝される

旅行の記録

友達にブログ書いてよって言われてそういえば最近書いてないなと思った。一度書き始めると筆が乗り始めて無限に書いてしまうし、最近有料のお絵かきソフトを買ってからというもの絵にドはまりしてしまって持てる時間全てを絵に注ぎ込んでいるので仕方がない。

旅行のハイライトを描いたのでそれだけ載せておきます

 

大阪の思ひ出

大阪到着

フェリーが楽しくて4時に起きて船内探検を続けようと思っていたのにしっかり熟睡し、到着30分前の船内放送で目が覚めた。悔やしさに地団駄を踏みながら荷詰めと軽い身支度をして最上階のソファで読書をすることにしたらすぐに到着してしまったが、まだ外は暗いし、しばらく船内に入れるようなのでそのまま読書を続行した。朝焼けが見たかったのである。この時読んでいたのは映画を観たことが無いのと生協でセールしていた時に目に入ったという理由で買った時計じかけのオレンジだ(もっとしっかりした理由で本を選べるようになりたい)。最初のアレックスがワルをしている下りで詰まっていたがやっと話が動き出したので楽しく読んでいた。今の私はアレックスのせいで何かあると脳内でほんとハラショーと言ってしまうようになった。

と、このように読書に耽っていたのだがふと顔を上げると朝焼けがもう始まっていた。急いでデッキに飛び出してニコニコしながら右往左往していたら、昨日かっこいいと思った巨大な煙突と朝焼けの組み合わせがほんとハラショーであることに気付いた。

朝焼けも見てしまったことだしと下船して近くの8時に開く喫茶店に向かって歩き出したのだが、この時7時手前であった。

港の景色をエンジョイしながらゆっくりゆっくり歩いたのに、店の近くに着いた時点でまだ7時半であった。仕方ないのでなんかそこにあった公園でゲートボールする老人を背にベンチで読書していたが、さすがに冬至を超えたとはいえ朝早くからそんなことをするようには日本はできていない。何とか耐えたもののかなり限界を超えて寒く、あんまりハラショーではなかった。

茶店は私以外ほとんど地元の常連のお爺さんお婆さんでありなんだか居心地が悪かった。しかし今ここを出ても本当にやることが無く凍死するだけなのでチビチビチビとコーヒーを啜り本が終わるまで居座ってやった。本の終わりが近づくと気が急いてしまって無茶苦茶に読み飛ばしてしまうタイプなのでもう一度読んだ方がいいかもしれない。

 

海遊館

 海遊館に行くのは本当に久しぶりである。小学生のころ何度か行ったが、それ以来な気がする。開館とほぼ同時に入ったのだが、それでも芋を洗うような混雑で辟易した。もう皆も訳が分からなくなってサワガニの水槽に前に長蛇の列を作っていた。サワガニなんてオタク以外そんなに苦労してまで見たいものでもないやろ。声が聞こえると気が散るのでずっと大音量でロックを聴いていた。

私は急いでいなかったので時間をかけて見ようと思っていたが、あまりに混んでいるので疲れてしまって水槽の前に居座ることもできない。昔は生き物オタクな上に子供と言う最強の存在であったため混雑の中水槽の正面を陣取ることも許されたが、20代に突入してもまだそんなことをするわけにはいかない。それくらいの倫理観はある。子供、特にオタクの子供に最大の敬意を払うのは水族館のマナーである。このため全然見れなかった生き物も結構いた。さらに良くなかったのが私がロッカー代をケチってキャリーケースを持ち込んでしまったことであり、このせいで始終「場所取ってすみません…」といかにも申し訳なさそうにしていなければならなかった。唯一の救いは年末のためほぼ全員が家族連れであり、魚に夢中な子供で溢れかえっていてカップルの存在がかき消されていたことだ。一番見たくないのがいかにもお互いにしか興味無さそうな何故来たかわからないカップルなので。大昔に上野動物園のアイアイの檻の前で「気持ち悪ぅぃ」と彼氏に媚びてた女と抱き着かれて喜んでた男のカップル、まだ許していないからな!!!???

いささか興奮してしまったのでとりあえずエトピリカの写真で落ち着きます。1年位前から鳥の雛というものが自分の中で大ブームなのだが、エトピリカの雛ももちろんダントツで可愛い。

存在がありがたい。

海遊館のペンギン水槽はオウサマペンギンとアデリーペンギン、ジェンツーペンギンが同時に見られてなかなか珍しい。やっぱり私の推しはスイカのモデルにもなっているアデリーだなと思った。

海遊館の好きポイントの一つにバンドウイルカでなくカマイルカを展示しているというのがある。この特徴的な模様がかっこいいんだよね。

ジンベエザメも2頭いると大水槽ですら手狭なのではと思ってしまう。

現在イトマキエイが繁殖、妊娠しており世界初のことらしい。

こうやって船の上にプールを作って運ぶというのは初めて知った。

そしてミナミハコフグの稚魚を見れたのがとても良かった。

ガチ恋距離のクエ。

物凄く頭の悪そうなフグ。

アザラシをいろんな角度から見られるようにした水族館は各地にあるがほとんど有効活用できていない中で、海遊館だけは下から見る窓にアザラシがいつも居座っていてファンサービスに余念がない。
このワモンアザラシの赤ちゃんが去年の4月に生まれてミゾレと名付けられたのだが、1回生の本当に友達がいなかった時期に毎日ミゾレの動画を狂ったように見て涙を流していたことがある。

www.youtube.com

www.youtube.com

可愛すぎるので法とかで規制したほうがいい。この世の可愛いと言われるものを全て集めても一滴しか取れないエキス。

このように大変お世話になったミゾレにやっと会うことができた。

奥にいる一回り小さいアザラシが成長したミゾレである。生まれたときは危機的状況で飼育員が母親から引き離して看病し、しばらくたってしまったのでその後も人工保育で育てたらしい。その影響で今でも人間が大好きで大好きで仕方がないという。本当に無事に大きくなれて良かったね。

最後に一番綺麗に撮れたカクレクマノミの写真を貼っておく。

その後も港や天保山公園を散歩したが大したものはなかった。しかしとりあえず絵の参考にできそうな写真は色々撮っておいた。天保山マーケットプレイスもあまりにも観光客向けな雰囲気であまり好きではなかったので早々に退散してしまった。

おしまい。

 

松山への旅

往路

 祖母がいる松山に行った。コロナが流行り始めてから松山に行くのは初めてである。

往路は割と近場に住んでいる叔父が車で連れて行ってくれた。世間話をしながら瀬戸大橋を渡り、途中で降りてうどんを食べた。ここ与島で食べた釜玉うどんだが、瀬戸内のしっかりしたうどんが好きなのでとても美味しかった。

そのあとまたしばらく車を走らせると祖母の家に着いた。またしばらくそこでクネクネしていると飛行機でやってきた父が現れ、さらにその後叔母が現れて父方の兄弟が全員揃った。しばらく祖母の容態などについて話してから夕食を食べに行った。

 

夕食

 最近できたらしいイタリアンで美味しいパスタとピザを食べた。大体大人達(と言っても私ももう大人なのだが)が話していたので私は黙々と食べることに専念していた。ここで私はピザの汁を服にこぼし、残り2日胸に薄赤いシミを付けたまま過ごすことになった。ここに来て新情報なのだが、叔父叔母父は兄弟揃って成人式に行かなかったらしい。さらに後に判明したのだが私と血縁関係のない叔母の夫も行かなかったらしい。私も成人式には行かないつもりであり、自分の意志で決めたことだとすっかり思っていたのだがどうやら我が一家の遺伝子に組み込まれたプログラムが動いていただけだったようである。

 そして叔母の家に泊らせてもらった。お風呂に入って布団の中で少し絵を描いたらすぐに寝てしまった。1日目は大体こんな感じである。

 

2日目

 翌朝起きると果物がたくさん入ったヨーグルトとフレンチトーストとオレンジを出してもらった。叔母の夫(彼も叔父だが叔父が二人いるとわかりにくいのでこう呼ぶことにする)と大学の話をしながらこれらを頂いてメイクでもしようかと洗面所に足を踏み入れると上の方にあった棚にぎっしりと理系の本が詰まっていて仰天してしまった。流石は高学歴一家だ。私が逆立ちしても何一つ勝てないハイスペックイケメン陽キャを輩出しやがって。ちなみにこの従兄弟が私の学部を後期で受験しようとしていたという微妙に屈辱的な事実があるのだが、この学部は叔母の夫に勧められて受けようと思ったらしいというのもこの日初めて知った。

 父と叔父が泊っている祖母の家に行くとちょうど父が野蛮にも大量のオレンジを売っていた時のパックから直接貪っているところであった。

 

祖母訪問

 こうして叔父の車に乗せてもらい、父と私と叔父の三人で祖母のいる老人ホームに向かった。祖母は祖父が亡くなってからというものめっきり老け込んでしまい、あれよあれよという間にボケてしまったのである。昨日の話でかなり進行しているというのは聞いていたが、実際5分おきくらいに同じ話をするだけになってしまっていた。私の年齢を聞く→自分の年齢を言う(しかもこの年齢が何度訂正しても間違っている。)→長生きしたなあと感心するの無限ループである。合わせ鏡もびっくりである。彼女は孫が全員いい大学に入ったことを自慢に思ってくれているのだが、これも誰が何大に入ったかかなり怪しくなってしまっていた。孫の一人に至っては名前すらあやふやなようである。あんなに美しかった純白の白髪もすっかり伸びきってボサボサなのを見るとこれが老いるということかあ、老いたくないなあと思ってしまう。とはいえ声や動きは元気そうでよかった。

 

石手寺

 以前、仏教オタク博覧強記の友達H君に松山の観光スポットを聞いたら石手寺を教えてくれた。私もネットで見て気になった所であるし、父も叔父も行ったことが無いので行ってみようということになった。入ってみるとかなり独特な寺であり、雑多に並ぶ石像や梵字の石碑でまるで日本ではないかのような雰囲気を醸し出してる。

衛門三蔵という人が家に訪れた僧侶を追い返したところこれが実は弘法大師であり、この罪で彼の8人の子供が順番に亡くなり始めた。これにより改心した彼が弘法大師を追いかけて看取ったというのがこの寺にまつわるエピソードである。ということを調べて父に聞かせると「弘法大師酷くないか!?」と謎の憤慨を始めたが、まあ宗教とは軒並みこんなものであろう。キリストもほぼ八つ当たりとしか思えない状況で謎にイチジクを枯らしているし。

この寺の個人的に良かったところは洞窟である。赤い鉄の扉を抜けて薄暗く狭い洞窟に足を踏み入れると怪しげな木彫りの像や大量のお地蔵さんが次々と現れ、いかにもディープな感じだ。定期的に仏教用語の解説パネルがあるのもウケた。洞窟の反対側は普通の車道になっており、その奥にも参道があったので入ってみるとさらに異世界感が増した謎の納骨堂になっていた。

ワクワクの洞窟

山の反対側にある洞窟の出口

謎の納骨堂

さてどう戻ろうかと考えていると山の向こうに通じていそうな山道があったので父と叔父はノリノリでここにぐんぐん入って行ってしまった。少し登ると松山中が見渡せる見晴らしの良い場所に出た。ここでしばらく眺めを楽しみ二人の松山トークを聞いて下り道を行こうとしたら、これがほぼ崖なのである。足を掛けられそうな岩のくぼみには松の葉が溜まって滑りやすさに拍車をかけている。額に汗を浮かべながら降りていたが、ふと冷静になると祖母に会いに松山に来たはずなのになぜ父、叔父を山道を半ば落ちるようにして下りているのか全く分からなかった。

無事寺に戻ってこれたので鐘を撞いたり石手寺カレンダーを貰ったり、護憲思想と仏教思想を絡めた住職のカラーが出まくりな謎のパンフレットを貰ったりして寺を出た。

 

ご飯、墓参り、ご飯

 このあと宇和島鯛めしを食べた。鯛の刺身や薬味を乗せたご飯の上に卵と醤油を混ぜて掛けるものである。父は鯛の刺身を一口食べるなり、「愛媛の刺身はこういう風にコリコリしてるが東京の刺身はどこに行ってもフニャフニャだ。あんなものをありがたがって食べる奴らの気持ちがわからん」といつもの東京の刺身への恨み言を垂れ流し始めた。

 その後祖父の墓参りをし、父は空港に行って東京に帰ってしまったので私は叔母の家に戻り、ビールと近江牛のしゃぶしゃぶを頂いて上機嫌になっていた。そしてこれからが私の旅の本番、東予港から大阪港までフェリーでの一人旅である。港までのバスが出るところまで叔母達に送ってもらって彼らと別れ、私は無事フェリーの発着場まで着くことができた。

 

フェリー

 学割込みだが8000円で鍵付き個室のベッドで寝られてお風呂もあり、夜の間に移動できるのはかなりコスパ良しではないだろうか。久しぶりの船旅にテンションが上がっていた私は乗船するなり船中をくまなく探検した。そして船の煙突が大きいことや内装が綺麗なことに大興奮した。

いい、やっぱり船独特の内装ってテンションあがる。

liminal space感

ここで寝ました。

 出航するのを美味しいものでも食べながら見たいと思った私はなぜか自販機でアイスを買い、デッキでアイス片手に震えながら作業員が機械でロープを巻き取り、港がだんだん離れていくのを見守ることになった。アイスを食べ終わった後も誰もいなくなった甲板で旅愁に浸りながら見る見るうちに陸の光が離れていく様子や、クレーンの明かりが消えていくところや絹布のしわのように船が波を立てるところや車の列が規則正しく瞬く光の点に変わっていくところを眺めていた。

寒い。

寒くなったので中に戻ってWi-Fiと格闘したりなんだりしていたらお風呂に入るのが遅くなってしまった。おかげで貸し切り状態で大浴場に入れたのだが、展望浴場と言う名前に期待していたのに全く嘘八百であった。まずガラスは結露して何も見えず、さらにその上にすりガラスが重ねられており、ご丁寧なことにすりガラスには細かい模様まで描いてあって外が見えないどころの話ではない。しかしお風呂は気持ちよかった。夜間にベッドで移動出来てさらに風呂まで入れるのは本当に一石三鳥くらいはある。

 

最後に

 色々書いたが、とにかく松山は暖かかったということだけ最後に声を大にして言いたい。晴れた昼間ならコートなしで出歩けるし、何なら祖母宅では窓を開けて過ごしていた。あれ?数十メートル外を歩くのでも完全防備が必要な某都市さん…?

反省してほしい、あんた歴史があるからいいもののそれ以外いい所何も無いですよ。

帰省

 国宝展に行くために全休を使って一瞬実家に帰った。果たして私はそこまで文化が好きなのだろうか、あまり知識もないしという疑問を脳裏によぎらせながらも東京国立博物館初の全所蔵国宝という文言に思わず興奮してチケット争奪戦に身を投じてしまった。同じサークルにいる美術と歴史に関して生き字引状態になっているH君のことを思うと自分は一泊してまで国宝展に行くのに値しないのではと思ってしまうのだが、そうはいっても貴重なものを見て楽しむ権利が無いわけなかろうと思って存分に楽しませてもらった。 

当初私は夜行バスで行って朝実家で少し休んでから展覧会を見てまた夜行バスに乗って帰ろうと思っていたのだが、夜行バスの事故が多くて心配なのと私が20歳になってから帰省するのが初めてなので一緒にお酒を飲みたいということで新幹線で帰るお許しを頂きありがたく新幹線で帰らせてもらった。 

晩酌

 実家は綺麗だしお洒落だし下宿生活では食べられないものを食べさせてくれるし湯船が大きくて好きだ。両親は晩酌だ晩酌だと言って私に霜降り肉クリームチーズとドライフルーツを合わせてクラッカーに乗せて食べるなんかお洒落な奴やなんかお洒落なサラダを食べさせてくれた。母はテンションが上がっていたらしくなんか素敵なお花を買ってきて花瓶に挿したらしい。ワインとビールを初めて飲んだがどちらも割と好きだった。しかし母によるとワインはある程度以上の値段がしないととても飲めたものではないので下手に安いワインは飲まない方がいいらしい。そういうわけで赤ワインとエビスビールを飲んだ。次来たときには白ワインとドイツだかどこかのビールを飲ませたいらしい。

QOL高すぎ

静物画か?

 最近は両親ともっぱら将来の話をしている。私がド阿呆すぎて留学の出願にたびたび失敗し、行っても4回生からになってしまうため就活のタイミングがよくわからなくなってしまったのである。今のところでは3回生で早くから内々定を出してくれるところを探しながら就活の準備をし、4回生の1年間で留学をしながら向こうでインターンなどして5回生で卒論を書きながら日本で就活しようかと思っている。私は海外で活躍できる人、いうなればグローバルリーダーになりたいと思っているので日本ではスキルが身に着く業種で数年働いたのちに海外に行こうかと考えたのだが、父からは直接海外で働き始められるならばそれに越したことはないため留学中もインターンなどすると良いという言葉を頂いた。こういう時海外で沢山働いた父の話を聞けるのは心強い。一時はMBAを取って海外で働こうかなとも思ったのだが、これにはかなり、いや相当お金がかかってしまうので軽々しい気持では決められないし働いた経験があったほうが有利でもある上、両親的には私がMBAに向いているかについては疑問の余地がある様子なので保留である。働いてお金を貯め、キャリアアップのために必要だと思ったら検討しようと思う。 

あと、人脈を作ってチャンスを逃さないためにコミュ障を治せと言われた。私は相手が同じクラスやサークルなど仲良くなる必要を感じる人の場合フレンドリーにできるのだが、この先どうなるかよくわからない人に対してはかなり塩対応してしまうのでこれは自分でも治したいと常日頃思っている。この分析を母に話したら、「人と会話するのにもいちいち必要性を計算しているのが怖い」と言われたが、本当にこういうところは自分でも気持ち悪いと感じる。 

 よく考えたら子供も産みたくないし結婚願望も薄いし日本国内で言えばそれなりの学歴は手に入る予定だし、一人で生きていくならそんなにキャリアキャリア焦らなくても何とかなるとは思うのだが、なぜこうも焦りを感じているのだろうか。きっともし子供が産まれたとして(産みたくないが)私が両親に与えてもらったものくらいは与えられるようになりたいという思いがあり、世間のことがだんだんわかっていく中でそのためにはどうやらかなり頑張らないといけないようだということに気付いてしまったからだろう。あと両親に負けたくないというのもある。まあ、そういうわけでせいぜい頑張りまーーーす。 

 酒を飲んでいたら父は仕事論を語り始め、母は彼氏を作れと私に迫りだし、私は私でピスタチオナッツが大量に消えたことで飲むと太る理論を肌で理解し、どうしようもなくなったので父は寝た。その後私は2時まで母に大学で出会った面白い人達のことだのチェンソーマンのあらすじだのなんだのと雨あられとマシンガントークを浴びせた後、寝た。 

 上野お出かけ

 国宝展のために上野に行ったはいいものの、入場時間までまだ時間があったので高校同期のIとランチを食べた。

まだIが足りなさそうだったので喫茶店でさらにおやつを食べた。家を出る前に母に撮られた花瓶の花を抱えた私の写真を見せたところ慶應(か上智)にいそうとのお言葉をいただき、調子に乗ってインスタのサブ垢に載せたら即座に実際に慶應に通っている友達から本物の慶應生の写真を送りつけられ怖すぎて泣いてしまった。Iと高校時代の同級生達の話に花を咲かせていたのだが、高校同期について仲間内で話すのはなぜこんなに面白いのだろう。一生続けられるしインターネットより奥深いかもしれない。お互いのクラスの卒業式の集合写真を見ていたら私のクラスの写真で担任がなぜか一番端におり、その上周りを老け顔の生徒で固められて完全に教師のオーラを失い一切の存在感を放っていなかったので笑ってしまった。あと、一年生時のクラスラインにあったオリジナルスタンプ(生徒の写真に文字を入れたもの)のアルバムを発掘し眺めていたらFという友達がパノラマ撮影に失敗されて細く圧縮された写真を発見し二人して腹がよじれるまで笑った。同窓会で皆に会えるのが楽しみでならない。 

展覧会自体については分けて書きます。

押上編

博物館が閉まるのが5時だったのだが、なんだか新幹線に乗るにはまだ早かったので高校同期Mに会いに行った。彼女の誕生日プレゼントをまだ買っていなかったので押上に着くなりどんぐり共和国に連行された。(どんぐり王国だと思っていたが、政治体制が違ったようである。)そして以前約束した通り漫画版風の谷のナウシカ全巻セットを買わされた。漫画版宣教師たる私としてはもちろん何セットでも買うし、手に入れたからには参考書かというほど何周も何周も読んでほしいと思っている。(私は何周もしたおかげでしばらく読んでいなくてもほぼすべて覚えているし解像度がかなり高い自信もある。このことを考えるとよく言われる教科書を何周もしなさいというのは本当に効果があるのだとわかる。)読んだことない人には積極的に私の物を貸していく所存なのだが、何年かおきに読むとそのたび捉え方が変わっていて自分の変化に気づかされる漫画なのでできれば1度読んで終わりでなく手元に置くべきである。

 重度のジブリオタクのMは自分の買い物もすると言ってずっと店の中をうろうろしており、ナウシカ原作信奉者なだけでジブリは好きでも嫌いでもない私はすぐ飽きて店を出、寒空の下英検の単語帳に顔を突っ込んでいた。

 その後フードコートでうどんと天ぷらを食べて帰った。私とMは共通テスト国語満点コンビ(自慢)なのだが、彼女は都路里のことを「とろり」と読んでいたらしい。本当に満点取った人間なのか!!??彼女の大学の人も皆同じ間違いをしていたらしい。偏差値って嘘なんだな。

 世界史の話をしていたらMが突然後金の建国者ヌルハチの名前を「ドジョウのオスって感じがする」と形容したが、およそ私の人生の中で最も共感できない話であった。共感以前に何を言っているのか一切わからなかった。日本史選択の彼女がヌルハチを知っているのは普通に凄いと思う。

帰宅と意気込み

 部長になったのに部活を休みがちなお詫びのお土産を買い、新幹線に乗り下宿に帰るとゴミ捨て場の方がまだましと言わんばかりの惨状が私を待っていた。ここは底冷えするし部屋は汚いし交通は滅茶苦茶だし市は財政破綻寸前だし湯船は小さくて入りたくないし授業は面倒くさいしなぜか最近バイトが異常に多いしで修羅の国である。でも生活が荒れていた所で実家に帰り回復したのでサークル、バイト、授業、英検の勉強、趣味、生活、インターン(これから探す)のジャグリングを頑張ろうと思う。最低7つのボールを回さないといけないなんてとんだジャグラーである。あと、もうすぐ同窓会なのに忘年会ラッシュでかなり危機的なので何も無い日は永遠にダイエットしていようと思う。

おしまい。

 

 

 

歌舞伎版も原作版もネタバレしまくりのナウシカオタク語り

歌舞伎版風の谷のナウシカ後編を観てきた。平日昼間から映画館で歌舞伎なんて観ていたのは私以外全員お年を召している方々だった。

原作で後編にあたる部分は特に思い入れの強いシーンや好きなシーンが多く、その分原作から変わっている部分に困惑することもあった。私が原作過激オタクなので常に次はこのシーンが来るはず、このセリフが来るはず、この人物が出てくるはず…と原作をなぞりながら観ていたから予想が大きく外れるとかなり混乱したのだと思う。

個人的にうーん…なところ

ナウシカの精神世界でミラルパを救うシーンが無い

 ミラルパがかなりあっさり死ぬので、彼が肉体を失っても見せたナウシカへの異常な執着があまり感じられなかった。土鬼の神聖皇帝で超常の力を持ち、いかにも怪しげな悪役然とした彼が裸でよぼよぼの老人となって王蟲と戯れ子供のように笑って清浄の地に消えていくシーンが見られなかったのは残念…

 

・トルメキアの二人の皇子が庭のシーンに登場しない

 謀略と戦の世界で生きてきた二人が庭で旧世界の巨匠達の楽譜とピアノを見つけ、陽だまりの中で夢中になって連弾するシーンが好きな読者はかなり多いのではなかろうか。これまた醜い悪役として登場した皇子達が救われるシーンであり、庭の客人が辿ってきた運命を示しているので私の解釈ではかなり重要な場面。そうか、そもそも皇子達は庭編には出ないのかあ…となった。しかし、あのシーンの静けさと美しさは舞台上で表現するには限界があるので中途半端にやるよりは無くて良かったのかもしれない。(クシャナが母に別れを告げるシーンも無いが同様の理由でべつにこれには不満はない。)

 

・上記も含め庭編がかなりシンプル

 ナウシカに話しかける動物が出ない。ナウシカが違和感に気づいた時に大騒ぎする動物達の不気味さや別れを惜しむ姿が好きなので歌舞伎でも見たかった。とはいえ念話自体が歌舞伎版では一切登場しない(おそらく演技では表現できないから)ので動物の声がないのも当たり前と言えば当たり前である。

あと、ナウシカが「あなたは残酷ですが優しい きっと生命を奪うことはできないのです。だから私を止められません お別れです」というのを見たかった。

そして読んでいて宮崎駿…となった庭の主人のセリフ「この庭にあるもの以外に次の世に伝える価値のあるものを人間は作れなかったのだ…」が少し変えられて生命への侮辱を含んだニュアンスになっていたが、彼の悲しげな顔と旧世界への批判を込めてこれを言うのを聞きたかった。擁護するなら、これは旧人類=まさに現代の私達の構図があるから痛烈に聞こえるものであるため、この構図が示されていない歌舞伎版ではそのままだとインパクトに欠けていたかもしれない。漫画でもよく読まないと気づけない構図など舞台ではノイズにしかならないので省くのは当然だと思う。もちろんオーマの歯にある日本語の商標なども登場しない。でもこのセリフ聞きたかったなあー

 

・大海嘯の後の腐海の芽吹きに重ねた多くを失った人々の再生の朝の表現がいまいち

 蟲使いの滅びた一族への言及が無かったのが大きいかも。でも蟲使い達の踊りは良かった。

 

・オーマと旅に出て以降の悲壮感が無い

 オーマがぼろぼろになっていく描写やナウシカの葛藤のシーン、何も知らないオーマが人間を殺す所がカットされていたが、もっとあの悲壮感が見たかった。

 

クシャナが三つ編みを切り落とさない(前編かもしれない)

 圧っっっっっ到的クシャナの格好良いシーン。冷たそうな態度と容姿の彼女が実は部下思いであることを最初に示す場面であり、私はここでクシャナに惚れた。歌舞伎版のクシャナのビジュアルが最強なのでこれをやるのが見たかった。そしてナウシカクシャナの髪型が似通ったものになることも、最初緊張関係であった2人どちらも共通して怒りと優しさを秘めており、クシャナがある意味ナウシカの裏表の存在としてもう一人の主人公になっていくメタファーであると思っているのでこれが無かったのは悲しい。(しかしまずナウシカの髪が原作と違ってポニーテールであり切り落としたところでなれる髪型ではないし、「ヴァルハラ」も歌舞伎版の世界観に合っていないのは事実)

 

良かった所

クシャナのマント

 原作ではヒドラに服を破られたナウシカクシャナがマントを渡し、後にクロトワに「このままで良い、マントはある ナウシカがつけている…」と話して彼を困惑させる。クシャナナウシカに思いを馳せているのが感じられて好きなシーンだが、歌舞伎版では死んだヴ王に掛けるシーンになる。クシャナの憎しみがなくなり毒蛇の巣はもはや消えたことが視覚的にもわかるようになっていたし、彼女のマントが歌舞伎版でも意味を持たせられていたことが個人的には嬉しかった。

 

ヴ王のセリフ

 墓の主が潰される瞬間ヴ王ナウシカを庇いながら彼女を「破壊と慈悲の混沌」と表現する原作のシーン。ナウシカの本質を端的に表現しているセリフとして本当に好きだし、ヴ王が全く愚者ではないことがよくわかる。歌舞伎版では今際の言葉になっているがこれはこれで良いなと思った。それにしても「失政は政治の本質だ」といい、ヴ王は登場シーンが短いのに良いセリフが多い。原作の話になるが、醜い人をただの愚か者として描かない、単純な悪役像を出さないという点が物語の深みを増させていると思う。

 

・冒頭の登場人物集合

 原作では同じ場所にいるはずの無い人物達を演出として矛盾なく舞台上に並べられるのは舞台の強みだと思う。個性豊かな主要人物たちがそれぞれ自己紹介をしていきナウシカを囲んでいく様子はなんだか胸アツであった。ナウシカの主人公としての輝きもこの演出で増したと感じた。

 

・皇兄ナムリス

 ナムリスはザ・悪者!!という雰囲気で登場しておきながら徐々にただのクシャナガチ恋勢なことが明らかになる最高のキャラであり、後編にしか出ないためかなり期待した状態で映画館の席に着いたが全く裏切られなかった。何しろ声の演技力が高く、彼の高圧的な態度や恐ろしさ、生き様がダイレクトに伝わってくる。私の語彙ではこれ以上うまく言えないが、これぞ「解釈一致」である。クシャナへの絡み方もとても良かった。

 

・トルメキア王家

 漫画よりも王家内の争いの生生しさが感じられる。気がする。

 

・墓の主とオーマの戦い

 本当は墓は血を噴き出しオーマは体を引きちぎり全てを滅茶苦茶にしながら戦うのだが、当然舞台ではそんなことできない。その代わり墓の主とオーマを擬人化した白と赤のかつらの役者が何人も出てきて長時間にわたって激しい舞を続け、歌も加えて混沌を極めている様子を表現している。これはなるほどと思わされた。悔やまれるのは私が連日の疲れから少し眠くなってしまったことである。起きていればもっと面白かったと思う。

 

ナウシカとオーマの別れのシーン

 死にゆくオーマがそれでもナウシカを気遣い、ナウシカがオーマを褒めたたえる原作のシーンはかなり心に刺さったのだが、歌舞伎版だと声に表情がついて思わず涙ぐんでしまう。原作のナウシカの表情と舞台での声、それぞれ違った良さでこの場面を胸に迫るものにしていた。オーマを大切にしているふりをしながら死を願っていたナウシカがそれでも彼を一つの命として愛してしまっていたこと、自分のために彼が死ぬことが悲しくてならないはずなのに彼を勇敢で自慢の息子と讃えていることが伝わってくる名場面だと思う。

 

・ケチャ

 前編の時書き忘れていたけどすっごく可愛い。

 

クシャナ

 前編に引き続き本当に美しい。私的に二次元の頂点に君臨するキャラをこのクオリティーで現実に落とし込んでくれたことに感謝しかない。歌声も美しすぎ。男なのに。最高ーーーーーーーーー!!!

 

ナウシカの登場人物は一人残らず好きなのだが、こんなに魅力的なキャラクターが勢ぞろいしているのは一言で人間性を語れるような単純なキャラ造形がほとんどないからだと思う。ナウシカも全くただの聖女ではなく制御できない怒りを秘めているし、クシャナも怒りと優しさと悲しみがごちゃ混ぜになっているし。別作品の話になるが私の大好きな亜人の永井圭もかなり矛盾した人間だ。当たり前だが矛盾を抱えながらも一人の人間であることを描くことでかなりキャラ造形に深みとリアリティが増すと感じるし、惹かれてしまう。しかしこれを一人のキャラクターとして読者を困惑させることなく描くのはかなり難しいと思う。

いや本当にこの世の創作物の中でもトップレベルに好きな作品なのでかなりオタクを丸出しにしてしまいました。それでは

2022/11/12 夢

部活中、強烈な眠気に襲われ5秒ほど意識を飛ばした時のことである、

健康診断の項目に薬物値とベジタブル値というものがあるというただそれだけの夢を見た。

よく具体的には何も起こらず、世界観だけがある夢を見る。今日見たのはその類だ。

朝起きたときは見た夢を鮮明に覚えておりその内容に大爆笑しながら気持ちよく二度寝して次起きたときには綺麗さっぱり全て忘れている、そして2限に遅刻するという流れを最近繰り返している。この人、高校卒業まで無遅刻無欠席だったらしい。

二度寝するにしてもせめて夢の内容を記録してから寝るようにしたい。 

ナウシカ歌舞伎

Kから貰ったガラスペンがいたくお気に召して色々書いてみている。大好きなカエルの絵のラベルが付いた緑色のインクを使ってみた。読みにくいと思うが、オタクの戯言なので読まなくていいと思います。

f:id:hyla26572256:20221025233535j:image

f:id:hyla26572256:20221025233541j:image