はいら日記

犬の顔にはめるバケツみたいな何かと数千万円するエルメスのバッグばっかり宣伝される

松山への旅

往路

 祖母がいる松山に行った。コロナが流行り始めてから松山に行くのは初めてである。

往路は割と近場に住んでいる叔父が車で連れて行ってくれた。世間話をしながら瀬戸大橋を渡り、途中で降りてうどんを食べた。ここ与島で食べた釜玉うどんだが、瀬戸内のしっかりしたうどんが好きなのでとても美味しかった。

そのあとまたしばらく車を走らせると祖母の家に着いた。またしばらくそこでクネクネしていると飛行機でやってきた父が現れ、さらにその後叔母が現れて父方の兄弟が全員揃った。しばらく祖母の容態などについて話してから夕食を食べに行った。

 

夕食

 最近できたらしいイタリアンで美味しいパスタとピザを食べた。大体大人達(と言っても私ももう大人なのだが)が話していたので私は黙々と食べることに専念していた。ここで私はピザの汁を服にこぼし、残り2日胸に薄赤いシミを付けたまま過ごすことになった。ここに来て新情報なのだが、叔父叔母父は兄弟揃って成人式に行かなかったらしい。さらに後に判明したのだが私と血縁関係のない叔母の夫も行かなかったらしい。私も成人式には行かないつもりであり、自分の意志で決めたことだとすっかり思っていたのだがどうやら我が一家の遺伝子に組み込まれたプログラムが動いていただけだったようである。

 そして叔母の家に泊らせてもらった。お風呂に入って布団の中で少し絵を描いたらすぐに寝てしまった。1日目は大体こんな感じである。

 

2日目

 翌朝起きると果物がたくさん入ったヨーグルトとフレンチトーストとオレンジを出してもらった。叔母の夫(彼も叔父だが叔父が二人いるとわかりにくいのでこう呼ぶことにする)と大学の話をしながらこれらを頂いてメイクでもしようかと洗面所に足を踏み入れると上の方にあった棚にぎっしりと理系の本が詰まっていて仰天してしまった。流石は高学歴一家だ。私が逆立ちしても何一つ勝てないハイスペックイケメン陽キャを輩出しやがって。ちなみにこの従兄弟が私の学部を後期で受験しようとしていたという微妙に屈辱的な事実があるのだが、この学部は叔母の夫に勧められて受けようと思ったらしいというのもこの日初めて知った。

 父と叔父が泊っている祖母の家に行くとちょうど父が野蛮にも大量のオレンジを売っていた時のパックから直接貪っているところであった。

 

祖母訪問

 こうして叔父の車に乗せてもらい、父と私と叔父の三人で祖母のいる老人ホームに向かった。祖母は祖父が亡くなってからというものめっきり老け込んでしまい、あれよあれよという間にボケてしまったのである。昨日の話でかなり進行しているというのは聞いていたが、実際5分おきくらいに同じ話をするだけになってしまっていた。私の年齢を聞く→自分の年齢を言う(しかもこの年齢が何度訂正しても間違っている。)→長生きしたなあと感心するの無限ループである。合わせ鏡もびっくりである。彼女は孫が全員いい大学に入ったことを自慢に思ってくれているのだが、これも誰が何大に入ったかかなり怪しくなってしまっていた。孫の一人に至っては名前すらあやふやなようである。あんなに美しかった純白の白髪もすっかり伸びきってボサボサなのを見るとこれが老いるということかあ、老いたくないなあと思ってしまう。とはいえ声や動きは元気そうでよかった。

 

石手寺

 以前、仏教オタク博覧強記の友達H君に松山の観光スポットを聞いたら石手寺を教えてくれた。私もネットで見て気になった所であるし、父も叔父も行ったことが無いので行ってみようということになった。入ってみるとかなり独特な寺であり、雑多に並ぶ石像や梵字の石碑でまるで日本ではないかのような雰囲気を醸し出してる。

衛門三蔵という人が家に訪れた僧侶を追い返したところこれが実は弘法大師であり、この罪で彼の8人の子供が順番に亡くなり始めた。これにより改心した彼が弘法大師を追いかけて看取ったというのがこの寺にまつわるエピソードである。ということを調べて父に聞かせると「弘法大師酷くないか!?」と謎の憤慨を始めたが、まあ宗教とは軒並みこんなものであろう。キリストもほぼ八つ当たりとしか思えない状況で謎にイチジクを枯らしているし。

この寺の個人的に良かったところは洞窟である。赤い鉄の扉を抜けて薄暗く狭い洞窟に足を踏み入れると怪しげな木彫りの像や大量のお地蔵さんが次々と現れ、いかにもディープな感じだ。定期的に仏教用語の解説パネルがあるのもウケた。洞窟の反対側は普通の車道になっており、その奥にも参道があったので入ってみるとさらに異世界感が増した謎の納骨堂になっていた。

ワクワクの洞窟

山の反対側にある洞窟の出口

謎の納骨堂

さてどう戻ろうかと考えていると山の向こうに通じていそうな山道があったので父と叔父はノリノリでここにぐんぐん入って行ってしまった。少し登ると松山中が見渡せる見晴らしの良い場所に出た。ここでしばらく眺めを楽しみ二人の松山トークを聞いて下り道を行こうとしたら、これがほぼ崖なのである。足を掛けられそうな岩のくぼみには松の葉が溜まって滑りやすさに拍車をかけている。額に汗を浮かべながら降りていたが、ふと冷静になると祖母に会いに松山に来たはずなのになぜ父、叔父を山道を半ば落ちるようにして下りているのか全く分からなかった。

無事寺に戻ってこれたので鐘を撞いたり石手寺カレンダーを貰ったり、護憲思想と仏教思想を絡めた住職のカラーが出まくりな謎のパンフレットを貰ったりして寺を出た。

 

ご飯、墓参り、ご飯

 このあと宇和島鯛めしを食べた。鯛の刺身や薬味を乗せたご飯の上に卵と醤油を混ぜて掛けるものである。父は鯛の刺身を一口食べるなり、「愛媛の刺身はこういう風にコリコリしてるが東京の刺身はどこに行ってもフニャフニャだ。あんなものをありがたがって食べる奴らの気持ちがわからん」といつもの東京の刺身への恨み言を垂れ流し始めた。

 その後祖父の墓参りをし、父は空港に行って東京に帰ってしまったので私は叔母の家に戻り、ビールと近江牛のしゃぶしゃぶを頂いて上機嫌になっていた。そしてこれからが私の旅の本番、東予港から大阪港までフェリーでの一人旅である。港までのバスが出るところまで叔母達に送ってもらって彼らと別れ、私は無事フェリーの発着場まで着くことができた。

 

フェリー

 学割込みだが8000円で鍵付き個室のベッドで寝られてお風呂もあり、夜の間に移動できるのはかなりコスパ良しではないだろうか。久しぶりの船旅にテンションが上がっていた私は乗船するなり船中をくまなく探検した。そして船の煙突が大きいことや内装が綺麗なことに大興奮した。

いい、やっぱり船独特の内装ってテンションあがる。

liminal space感

ここで寝ました。

 出航するのを美味しいものでも食べながら見たいと思った私はなぜか自販機でアイスを買い、デッキでアイス片手に震えながら作業員が機械でロープを巻き取り、港がだんだん離れていくのを見守ることになった。アイスを食べ終わった後も誰もいなくなった甲板で旅愁に浸りながら見る見るうちに陸の光が離れていく様子や、クレーンの明かりが消えていくところや絹布のしわのように船が波を立てるところや車の列が規則正しく瞬く光の点に変わっていくところを眺めていた。

寒い。

寒くなったので中に戻ってWi-Fiと格闘したりなんだりしていたらお風呂に入るのが遅くなってしまった。おかげで貸し切り状態で大浴場に入れたのだが、展望浴場と言う名前に期待していたのに全く嘘八百であった。まずガラスは結露して何も見えず、さらにその上にすりガラスが重ねられており、ご丁寧なことにすりガラスには細かい模様まで描いてあって外が見えないどころの話ではない。しかしお風呂は気持ちよかった。夜間にベッドで移動出来てさらに風呂まで入れるのは本当に一石三鳥くらいはある。

 

最後に

 色々書いたが、とにかく松山は暖かかったということだけ最後に声を大にして言いたい。晴れた昼間ならコートなしで出歩けるし、何なら祖母宅では窓を開けて過ごしていた。あれ?数十メートル外を歩くのでも完全防備が必要な某都市さん…?

反省してほしい、あんた歴史があるからいいもののそれ以外いい所何も無いですよ。