はいら日記

犬の顔にはめるバケツみたいな何かと数千万円するエルメスのバッグばっかり宣伝される

文化的なる一日

東京にて高校同期mととても楽しい一日を過ごしたのだが、なかなか書く時間が取れなかったので今思い出してみようと思う。

モーニング

この日私はmと神田の高山珈琲で朝っぱらからケーキを食べようということになっていた。意気揚々と喫茶店まで歩くとなんとmはいないし店は休業中ではないか。彼女は店が閉まっているのを見て駅まで戻ってしまったらしい。せっかく神田で降りたのだからということで別の喫茶店に入ってモーニングを食べた。

ボストン美術館

そして上野に行って東京都美術館で企画展の芸術×力 ボストン美術館展を見た。前日二人で東京の展覧会をざっとチェックしたところ一番面白そうだったのがこれなのである。権力と芸術の力の関係に焦点を絞ってボストン美術館の所蔵品を公開する展示らしい。

入ったところにあるホルス神のレリーフを見ていたら音声ガイドのイヤホンを付けた小学生くらいの男の子が駆け寄ってきて後ろを歩く両親の方を振り向き「ホルス神ってハヤブサなんだよ」と言い、説明版を読んで「ほらやっぱり」と嬉しそうに続けた。夏休みに美術館に連れてきて音声ガイドを借りてくれる親と知識豊かに美術館を楽しむ子供を見て彼の前に広がる明るき未来を想像した私はニコニコした。恵まれた家庭で恵まれた資質を持つ子供ってやはり最高だと思う。

南宋で描かれた龍虎図の説明に、「中国では龍を陽、虎を陰とする」との内容があった。陰キャ陽キャなんて概念にこだわってしまうときも「私は虎だから、彼は龍だから」と言えば少しは素敵になるのではないだろうか。

清の乾隆帝の服、龍袍には12個の皇帝の象徴が刺繍されているらしいのでmと二人でショーケースの周りをぐるぐる回って数えてみたが全てを見つけることはできなかった。この中で恐らく象徴の一つであり私の興味を引いたのが二つのガラスの器に猿のようなものが入っているという意匠である。調べてみるとこれは二つの生贄用の器に虎と猿が入っており勇気と知恵を象徴するとのことである。

十二章~中国文様~ - いわの美術のお役立ち情報

Twelve Ornaments - Wikipedia

19世紀に描かれた「灰色の枢機卿」はルイ13世の宰相リシュリューの最大の助言役となっていたフランソワ・ルクレール・デュ・トランブレーに貴族達がおもねる様子の絵である。彼以降、裏で物事を牛耳っている人をフランスでは灰色の枢機卿と言うらしい。

mは韃靼人朝貢絵図を見て韃靼という名前が好きだとしきりに言っていた。あとは、デューラーのマクシミリアン1世の凱旋車に描かれた謎の線は何だろうと思ったら皇帝の徳を讃え皇帝の勝利の根拠と意義を説明する文を添える葉らしい。

皇帝マクシミリアンの凱旋 文化遺産オンライン

そして18世紀イタリアで製作されたギターの穴の中の装飾の細かさに二人して驚嘆した。

いくつかジュエリーも展示されていたのだが、至上の宝石を惜しげもなく使っているものの輝きは別格だった。もちろん照明も良いのだろうが、ダイヤモンドを数十個もあしらったネックレスの放つ光は通路の反対側にいてもはっきりと見えた。貧乏人の私はダイヤモンドがこんなにも虹色に輝くなんて知らなかったのだが、この時宝石の国のダイヤの髪が虹色である理由が分かった。母はいつも自分の手に入るかどうかは別として良いものを見ることは確実に自分の財産になると言っていて、私はこの時彼女のこの言葉を思い出した。(帰宅して彼女にジュエリーの美しさを語ったらまた同じことを言っていた。)

展覧会の目玉とされていたのが吉備大臣入唐絵巻であり、当時の日本人の中国に対する嫉妬と憧れの混ざった複雑な感情が感じられるものだったのだが、これを見て私たちは捧腹絶倒してしまった。まず絵がとてもかわいい。吉備真備はまあるい顔に頬がかすかにピンク色で頭身もかわいい。

そのストーリーとしては、遣唐使として唐に渡った吉備真備がそのあまりの才能を危険視した現地の人々により一度入ったら出られないという塔に閉じ込められてしまうというものである。設置した意味がないくらいに、というか書いた人の頭はこんがらがらなかったのかと思うくらいに急な階段が生えている高床の館に閉じ込められた吉備真備のもとに鬼が現れるのだが、この鬼の正体は故郷の土を踏まずして死んだ阿倍仲麻呂である。阿倍仲麻呂は飛行の術を使って吉備真備を連れ出し皇帝が真備に難題を出して困らせようとしていること、その難題とは文選の内容を問うことであるということを見せて知らせる。この時点で塔からは出られていないか…?予めお題を知っていた真備は難題にすらすら答え高官たちを驚かせる。次に中国人たちは真備に囲碁の勝負を持ち掛けようとする。阿倍仲麻呂はこれを真備に告げ、囲碁のルールを知らなかった真備は天井の格子を碁盤に見立て脳内シミュレーションして練習する(????)。勝負本番、窮地に陥った真備は碁石を一つ飲み込んで戦況を変え辛勝。碁石が足りないことを訝しまれ下剤を飲まされるも超能力で碁石を体内に留め体裁を守りましたとさ(??????)。それは勝利とは言わなくないか…?こんな荒唐無稽な話で当時の日本人は中国へのコンプレックスを満たせたのか…?す、全てが滅茶苦茶すぎる。

ミュージアムショップでmの好きそうな羽ペンセットを見つけて報告したらやはり気に入ったらしく買っていた。私はと言えば飛行する真備と仲麻呂のタオルハンカチがあまりに可愛く危うく買うところであったがもうお金が無いので何とか踏みとどまり、部屋に飾ろうと思って灰色の枢機卿のポストカードだけを買った。ポストカードは安いし、小さな絵を持ち帰るようなものだし、部屋に飾っておけばいつでも美術館に行った日のことを思い出せてお土産としては最適解ではないかと思っている。この解にたどり着くまで長かった。mは色々なポストカードを張り替えて自室に企画展を開いているらしく、さすがの良い発想だ。

美術館に行くと何時間も立ちっぱなしな上に目も脳も回転させるので命を削って見ているようなものであり、毎回凄まじく疲れる。展示室を出てすぐに二人で呆然とベンチに座ってしまった。誰ですか、美術館をゆったりスポットみたいな扱いし始めたのは。

巨大パフェ

疲れたので喫茶店に行こうということになり、mとアメ横を抜けていった。美術館や博物館の集まった文化の薫り高い場所から少し歩くだけでとても日本とは思えないようなごみごみした場所に出るので毎回不思議な気持ちになる。

東京は条例でこういう喫茶店でも煙草を吸うのは良くないということになっているらしく、非喫煙者としては助かる。京都の純喫茶はいつ行っても頭が痛くなってかなわんのだ。

でっっっっか!

美術館で疲れた頭にはやはり甘いものである、ということでパフェを頼んだらべらぼうに大きいのを出された。最初は美味しい美味しい幸せだ幸せだと言いながら食べていたが段々口の中がキンキンに冷え、途中から事あるごとに「ハアハア…ちょっと休み……」と言って天を仰いでいた。これで3か月分くらいのパフェ欲とクリーム欲を満たせたと思う。そしてかなり苦労したのにいつかまた食べたくなって行ってしまう気がする。

上野はいくら周っても周りきれない。いつかこの近くに1週間くらい泊まってひたすら美術館と博物館めぐりをするのが夢である。東京を離れてしまって残念だったことの一つは間違いなく、受験を終え展覧会に行く余裕ができたのにここに通えなくなってしまったということであろう。

神保町

ここまで来たら神保町にも行きたいということで神保町に行ったが、もう夕方だったので本屋はもうかなり閉まりかけていた。

mは作家にも詳しく、色々な本棚を見てはああだこうだ言っていたが恥ずかしながら私は全然知らないものばかりであった。しかし、彼女のおかげで気になるものに色々と出会えた。特に鹿島茂が気になるので今度読んでみようと思う。考えてみれば私は素敵な本や面白い本を読みたいという気持ちよりもとにかく文章を目に入れて半分修行のような読書をしたいと思ってしまうので碌に調べもせずに適当にその辺のものを闇雲に読んでしまっている。この前もそれで母に少しはジャンルを絞ったらどうだと言われたのだ。修行読書が好きなので受験勉強の合間合間に1年かけてドグラ・マグラを読んだ時にはただ「チャカポコチャカポコ」と数十ページに渡って書かれた箇所を一切飛ばさずに普通に読んだ。

私もmも常日頃から青木まりこ現象に悩まされている身、mに至っては便秘解消のために本屋に行っているくらいである。二人揃って猛烈にトイレに行きたくなってしまい、我先にと近くの大きな本屋のトイレに駆け込み二人揃って快便をして出てきた。

古い映画のポスターやチラシが安く売られている店で何か部屋に貼るものが無いかと探していたらAKIRAのチラシを見つけたのでこれを買って帰った。

今日買ったポストカードとチラシで我が下宿の壁がますます賑やかになること間違いなし。

御茶ノ水まで散歩して帰ったのだが、今までここにはほとんど模試でしか来たことが無かったので家路に着くと模試終わりの疲れと絶望を思い出して今更憂鬱になった。

家に帰って両親に純喫茶に行ったという話をしたら二人とも未だにその言葉が生き残っていることに心底驚いていたのだが、そんなに腰を抜かすことなのだろうか。

mとはこうして思う存分文化的な遊びができるので大好きだ。彼女はどんなものにも素敵ポイントを見出すし、私の感性を否定することもないのがさらに好きだ。また日本に帰ってきたら絶対遊びに出かけたい。

おしまい。