はいら日記

犬の顔にはめるバケツみたいな何かと数千万円するエルメスのバッグばっかり宣伝される

どうしてもあなたに伝えたい話があります。嘘、ありません。

ハエ退治についてこんなに書くことがあったことに関しては私も驚いています。

バイト先でハエが、しかも非常に大きいハエが大量発生したので私は昨日から殺戮担当として大活躍している。バイトを始めてから一番働いているかもしれない。電流が流れているテニスラケットみたいな何かでハエを殺すのだが、このラケットが微妙に壊れていてスイッチを入れると青い火花が飛び散り続ける。よく見るとこのラケットは2枚の粗い目の網に挟まれて内側に細かい目の網があるという3重構造になっていて、この外側と内側が触れ合うと火花が飛び散るようだということが分かった。幸い内側の網は薄く柔らかかったのですぐに直せた。昨日十何匹というハエに三途の川を渡らせ、今日は昨日逃がした虫ケラどもを一匹残らず抹殺してやる、たとえ便所に隠れていても息の根を止めてやる

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と意気込んでいたらそのあまりに気合の入った握り方に先輩からラケットスポーツをやっていたことあるの?と聞かれた。ちなみにこれはご名答で私は中学時代にバドミントンをやっていた。部内最弱の名をほしいままにしギャグ枠と虫追い払い係としては目の覚めるような活躍を見せたものである。しかし昨日私の猛攻から逃げ切った個体なだけあって今日はなかなか捕まらない。終盤やっと1匹仕留めたが網の上でしぶとくも動き続けていた。内側と外側の網が触れ合うと火花が散るということを思い出して網を振りハエを外側の網の目の中に落とすと、バチバチという音ともにもう電気が消された部屋をハエの体を走る青白い閃光が照らした。それが小さなオレンジの光に変わるとともに香ばしい匂いが漂い始め、これが私をこの上なく不快にさせた。しかし、匂い単体を取り出して考えるとバーベキューの時に嗅いだら私はおいしそうと喜ぶだろうし、暖炉からしてきたら別段何とも思わないだろう。すると匂いに対する不快感はどこから来るのだろう。私は不潔な物質から出た分子が鼻に入った、つまり粘膜に触れたという事実を突きつけられることではないかと思っている。しかしながら私のハエへの耐性はグアテマラでの暮らしを通して鍛え抜かれている。ハエが付きすぎてもとから真っ黒だったみたいな顔をしたハエ取り紙を見ながら育ち、パリでモナ・リザに夢中で群がる人込みを見たとき「食べ物にたかるハエみたーい」という感想しか抱かなかった身としてはこのくらいの試練はなんのその。冷静にハエをこんがりさせて遊び、グアテマラ育ちとしての面子を保った。(グアテマラには銀バエが履いて捨てるほどいたのでそれに比べればただのハエなんてかわいいものだ。)

中学時代、ハニーワークス流行っていたよね

はあゲームもねえ、テレビもねえ、恋愛に興味もねえ、音楽は聴かねえ、学校では勉強以外何もしねえ、趣味はNAVERで面白画像を見ることしかねえという状況だった当時の私は当然同級生達と話が合うはずもなかった。しかし、まだ若く純粋だった私は健気にも彼女らの話に入っていくことを夢想し、どこかから聞きかじってきた「はにわ」なるものを聴いてみようとした。結果恋愛に一切興味がなく少女漫画もクサくて読んでいられないという人にあんな代物が理解できるはずもなく、聴いていて気絶しそうになった。その後一応ハニーワークスは一通り分かるようになったものの、コミュ障を拗らせたうえに自分の趣味を開示するという習慣が一切無いせいで奇妙な秘密主義者になっていた私は同級生達の話に一切入っていけずにそのまま卒業した。今思い出せばもっとうまく振舞えなかったかと思う場面が多々あるものである。

それにしても私のいた中学というのがこれまた世紀末であり、東京のそれなりに名のある地域の学校のはずなのに授業中も5秒に1回は必ず下ネタが聞こえ、「女は困ったら風俗やればいいから楽だよな」だとか「一番楽な職業はyoutuberだよな」とかいう言葉が日常茶飯事であり、休み時間は机や椅子を吹き飛ばしながら教室で鬼ごっこする奴らで溢れかえっていた。高校に入ってまず、「この人たち授業中に下ネタ言ったり叫んだりしない!なんて上品でできた人たちなんだ」と感動したことは記憶に新しい。他にもヤバヤバエピソードには事欠かないが(お陰様で高校で話のネタが尽きることはなかった)、私が当時のことをなるべく思い出さないようにしているため今はすぐには出てこない。また何か面白いことを思い出したら書こうと思う。正直3年間の禁固刑のほうがましだったのではないかと今でも思っている。しかし、彼らが一生かかってもたどり着けない境地に早く至りたいという思いが私を突き動かしたのもまた事実だ。こんな地獄、一日でも休んだら二度と来れなくなるという確信の下、内申のため這ってでも無遅刻無欠席を貫いたのは我ながらかなりの偉業だった。不登校にならずに済んだのは学校にわずかにいた好きな人たちと塾の友達のおかげであった。私は塾で自分の所属する教室の人間関係を完全に牛耳り、お菓子交換会を毎回開いて着々とその輪を広げ逃避先としてユートピアを作っていた。懐かしいなあ。という思い出話である。これからも頑張って中学の有象無象を引き離していきたい所存だ。おしまい。